もじゃトラックス

ダンスを止めるな!

なんと先日、とあるダンスバトル大会で優勝してしまった。アフリカのストリートダンスのフリースタイルバトル。過去のことになったらイキリにくくなるので、ホットな内に何か書こうと思って、10カ月ぶりに筆をとった次第。笑

まなさんに言ってもらったこと

ずっとAzonto(アゾント)を教わっているFATIMATA先生(以下まなさん)がバトルの詳細をこちらで書いてくれていて、この中で、モジャのスタイル、モジャらしさ、モジャの表現など「自分がある」みたいなことを言ってくれている。

まなさんは僕がダンスを始めた当初からの先生で、ダンスの楽しさ、本場の音楽、現地のステップを教えてくれるし、一言のアドバイスで魔法みたいにうまくなるし、ダンスを学ぶ姿勢とかも教えてくれる。めっちゃええ先生なのである。

ちなみに僕はもともと太鼓とダンスの絡みが楽しい西アフリカ音楽のドラマーをやっていた。3年前に「ダンスのための演奏がうまくなるように、自分が踊れるようになってみよう」という動機でダンスを始めたんだけど、まなさんからダンスを学び始めてすぐ、ただダンスが好きな人になってしまった。笑

今は南アフリカのPantsula(パンツーラ)にハマっている。足で音を出しながら踊る、太鼓感あふれるダンスだ。これを習った南アフリカでのある先生との経験が、今回まなさんに言ってもらったこととリンクしていたので、その話をしようと思う。

ブシ先生

南アフリカで滞在していた家の主はブシというダンサーだった。長くダンスの仕事をやっており、家の2階はダンススタジオになっていて、そこはImpilo Mapantsula(パンツーラのダンスカンパニー)の本拠地でもある。3カ月ずっと一緒にいたわけで、この人にはとてもお世話になった。

彼は強烈なダンサーだった。目や態度や振る舞い、表情、そして体の動きが、誰とも似ていないけど確固たる型に沿っているような安定感があって、でも踊るたびに色々変わるので自由であるようにも感じられた。動きと音、表情、体の微妙な傾きから感じられる気迫が凄く、とにかくカッコよかった。

パンツーラは何人かで同時に踊って合わせを見せるダンスなので、基礎ステップをできるようになったら、コレオ(ある程度の長さの、振りの決まった作品)を先生が作って、それを習うというのがレッスンの中心になる。

でも、現地のパンツーラダンサーはソロが踊れる。ソロは、一人で、自分の振りを踊ることだ。ソロチャレンジしよう、というのを一番早く言ってくれたのが、ブシ先生だった。

初めてのソロチャレンジ

コレオの中で、短いソロの時間(←パンツーラあるある)を作るので、6,7秒ぐらいのソロを考えるように、とのことだった。何分でできる?と言われたので、5分ぐらいかな?と言ったら、「5分?それで充分?本当に?」とガチのトーンで返された。いわく、「モジャにとって、ソロやコレオをデザインできるようになるのはとても大事だ、だからしっかり考えてほしい」と。体のどこを使っても、床や壁を使ってもいい、とも。とりあえず20分で作る約束をして、一旦先生は休憩しに行った。

楽勝だと最初は思っていた。でも20分後…1秒ちょっとしかソロを作れていない自分がいた。つまり、出だしだけ。ソロ作りが積み木だとしたら、最初の一個を床に置いただけ。そのあとは何を試しても微妙に思えるという、変な理想の高さで詰まっていた。自由すぎてまとまらない。

みじめ過ぎた。考える時間を2時間くれと言っておけば良かった。

帰ってきた先生は、1秒しかできなかったと僕が言ってるのに、「できてるところまでやって見せて」と言った。そりゃそうか。1秒分を見せた。次にこれをしようかあれをしようかと迷ってる、でもどれもナイスじゃないように思えるんだ、と言った。

先生は「今作ったソロを、私を生徒だと思って教えてくれ。そして、教えながら完成させてくれ」と言った。そして唐突に、初めてのモジャクラスが始まった。ブシ先生は何も分からない生徒になりきっている。ただし、教えたことは半端ないキレで実践する生徒だ。笑

しどろもどろになりながらも教えていると、なんだかよくわからない内にソロが完成してきた。教えるには、とりあえず続きがないと場が持たないので、嫌でも作成が進むのだ。出来上がったのはソロというよりコレオ的なものだったし、カッコ悪い動きだったけど、一応6秒分ぐらいが完成した。なんとか自分の中から出した動きだった。

先生は、「いつか自分のパンツーラ・ビートを作れるようになってくれ。ソロ作りに困ったら、音を聞け。」と言って、曲を鳴らしながら縦横無尽に踊り始めた。クリエイティブの極みのようなソロを見ながら、「音を聞いてソロができたら苦労しないんだけど…」と思いつつも、確かに自分には音を楽しむ気持ちは欠けていたような気がした。

ただ、まだモジャにはソロは早いと思ったのか、それっきりブシ先生が僕にソロをさせようとすることはなかった。

それからしばらく

数カ月の間に、色んな先生から習って、レパートリーも増えた。徐々にレッスン内容がクリエイティブになっていって、いろんな条件で踊るとかコレオを作るといったレッスンも増えた。週末はパーティーやクラブで踊るクルーに加えてもらい、先生の一人とは、人前でコレオを何度も踊ったりした。気分が乗れば、適当につないでゆるゆると踊ることはできるようになった。僕はどんどんパンツーラを好きになっていき、南ア滞在を延長した。

ブシ先生は忙しく、レッスンは少なめだった。というのも、彼は自分の生徒たちの面倒も見るし、人との付き合いを大事にしていて、一日のどこかでは、友達や目上の人、親類の家に行って長話をするのが日課だった。そして僕によく、同伴するかどうかを聞いてくれた。僕はそういうときイエスマンなのでいつもついていくのだが、現地の友達とのおしゃべりは英語でなくズールー語だ。そうなると理解はお手上げなので、雰囲気だけ楽しんでいた。滞在期間が終わりに近づくにつれて、そういうお出かけが増えていったように思う。

最後のレッスン

クリスマスと年越しのパーティーも終わって、南アフリカを発つ前日の夜、最後のレッスンが行われた。それは、久しぶりにブシ先生が担当した。

なんだか、普段より厳しさが増してるような気がした。今までにやったことのない、タップの要素をたくさん盛り込んだステップをしばらく教えた後、ブシ先生は言った。「パンツーラは音楽を作る。だから音楽なしでも踊る。今から、私がストップと言うまで、音楽なしでノンストップで踊れ。何をしてもいいけど、できるだけ新しい動きを作りながら、でもなるべくパンツーラに見えるように。」

そして、足音だけが響くソロマラソンが始まった。速さも適当に変えながら、とにかく動き続け、何かしら試していく。出てくる動きのほとんどは微妙なものだけど、たまに、少しだけいいリズムが奏でられたり、いい動きができることがある。それをブシ先生は見逃さず、静かに「Yes…」と言った。僕を凝視したまま。それがまたプレッシャーだった。

なかなかストップと言ってくれない。途中で、これはもしかしたらマジで長いやつだ、と悟った。恥ずかしさも麻痺して、がむしゃらという言葉がぴったりで、汗だくで。たまに水を飲みながら踊り続けた。

30分ほどたったとき、ブシ先生が唐突に曲をかけ始めた。ストップ…ではなさそうだったので、そのまま踊った。すると、音なしのときと比べて、自由に動きが作れなくなった。いい音楽でもダンスには邪魔になることがあるのかと新鮮に感じた。いや、まだ音を楽しむ段階にないのかもしれない。でも、キレは回復したような気がした。ともあれ、ソロはもうしばらく続いた。

全部で40分ぐらい踊っただろうか。ようやくブシ先生は曲を止めた。そして立ち上がり、少し拍手して言った。

「ワオ、と言わせてくれ。これだけ踊り続けられたのはすごい。」

こちらはもう、息も絶え絶え、滝汗が目に入って視界もぐしゃぐしゃだ。とりあえずセンキューと言うぐらいしかできない。先生は続けた。

「モジャ、いろんな先生に習うのはいいことだ。いろんなダンスをやるのもいいことだ。でも、最終的にお前は”モジャ”を見つけないといけない。それは簡単なことじゃないけど、大丈夫、踊り続けていればいい。踊り続けてほしい。そうすれば、お前の体が”モジャ”を教えてくれる。」

こうして、最後のレッスンは終わった。「とにかく踊り続ければOK」というシンプルなおまじないはなんとなく心強く、たまに思い出して元気をもらっている。南アにいた頃よりも今の方がいい感じに踊れている、と自信を持って言える。それは、踊り続けたからだと思う。毎日とかじゃ全然ないけど。

果たして僕は、”モジャ”を見つけられるのだろうか。その一つのレスポンスを、先の記事でまなさんにもらったような気がして、嬉しかった。

まだ試行錯誤の連続で、モジャを見失うことも多いけど、一番楽しいと思える瞬間を求めてこれからも踊り続けていくんだろうなと思う。まだストップって言ってもらってないし。

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