もじゃトラックス

いじめを見かけたら怒っていいと思う理由

こんにちは。もじゃです。

今回の記事は、伝えたいこととしては大きな部類です。
いじめについて。

前置き

先に言っておきますが、僕は保育や教育の専門家でもなければ心理学とか社会学とかも良く分からない
そんなおっさんが言っていることだという前提で読んでもらえると幸いです。
今回に限らず、僕の記事は大体そうなので「思う」を多用しますが悪しからず。

あと、僕はきっと人並み以上にいじめられた経験があるので、それを元に語ります。
なので、説得力もそれなりに増してしまうと思うんですが、だからと言ってこれが正しいと鵜呑みにはしないで欲しい・・・
でも語りたい
という複雑な想いがあります

という長い前置き。

実際にあった、いじめへの対応

さて、本題に入ります。
僕が今回言いたいことは「いじめに対して周りの人が怒ることは、いじめられた人の心を守る上でとても重要。だから当事者でない人こそ、躊躇なく怒ってほしい」ということです。

僕は周りに比べて変わっていて、適応しようとしなかった(またはできなかった)ので当然の帰結としてよくいじめられたけど、大人や友達には恵まれていたなということを結構思うのです。僕の味方になってくれた人の言動は良く記憶に残っています。
例を上げます。

[ケース1]

ドッジボールで僕が真っ先に狙われるという習慣が根付いてしばらくしたころ、それに耐えられずに担任に言いつけたところ、普段は温厚な先生が鬼の形相になっていじめっ子を叱り、その子達に対してドッジボール禁止令が出た。

[ケース2]

力が強くなってくると、バイオレンスないじめが流行った。全校集会みたいな密集地帯で僕の背中を思いっきり叩いて、見つからないように人ごみに隠れる。手の形に背中が赤くなっていることに対して「モミジついてんぞ」とからかわれる。
あとは、授業中に僕の太ももを握力の限り掴んで紫色にする。とか
そういうのに対して担任Aが言い放った言葉「いじめたやつに対しては、俺が絶対同じ目に合わせたるからな」
またあるとき、担任Bの言葉「私も子供のときにいじめられたが、そいつらのことは今でも許していない。一生、絶対に許さない」

[ケース3]

ノートにパラパラ漫画を書いて遊んでいた時期、あるとき手帳をみたら、漫画のところだけ破られていた。
それを見た友達Aが一言「ひどいことするやつがいるもんだね」

共通点と相違点

この人たちの共通点は何か。
それは、「私はいじめに対してNOと言う」「あなたがいじめられていることは不当なことである」という態度をはっきり示していることです。
相違点は何か。
「取りうるアクション」です。

人がいじめに出会ったときに次のように反応していくと仮定します。
①事実(いじめ)
⇒②感情、解釈、評価(どう思うのか、どう感じるのか)
⇒③行動(どうするのか)

そのうち、②は大体一致していて、③が人それぞれということですね。

他の人がいじめに対してNOということがなぜいいのか

こういうとき、例え問題が解決されなくても、心がすごく楽になったり暖かくなることがあります。
それはどうしてだろう、と考えるなら、僕の答えは以下になります。

「怒っていいよ」って許されるから

人は現状認識とか行動の方向性を、他人の影響で決めているところは多いと思うんです。
ましてや子供のように、まだ経験が少ない状態だと、そもそもいじめられたことに対して「怒っていいことなのかどうか」確信が持てないこともあると思うんですね。
不当な扱いに対する怒りは、自分を精神的に守る感情として基本になるものだと思うんですが、「他の人もこんな感情を表現していた」というストックがないと、自分の選択肢にもなかなか上ってこないんじゃないかなと思います。

そんなときに周りの人が怒りを露わにしてくれると、「怒っていいんだ」っていう自分への許可みたいなものが価値観に加わると思うんです。

上のケースの内、ケース1,2の先生たちの行動とか言動って、一般的な常識に照らすと褒められたものではないですよね。
ドッジボールがもうできなくなるなんて子供心にもかわいそうだったし、「同じ目に合わせる」とか普通にそれはダメだし、「絶対に一生許さない」とかやりすぎでしょ。

でも、それは一人の人間としての感想を正直に言ったってことで、今は、その後の行動には正解はないってことだと解釈しています。
もちろん、刺激的なのがよろしいというのではないですよ。
ケース3の友達みたいに、いじめを「ひどい」と評価してくれることが大事です。
それだけでも、あるのとないのとでは全く違います。

いじめられた人には怒りを感じるという自由があって、その後どうでるかという自由もある。
制裁でも、復讐でも、許すでも許さないでも、感謝でも、取り入っても、無視でも、反省でも、関係修復でも、なんでもしていいんです。

そのストックをいじめられた人には与えてほしい。
いじめられた人のために怒ることにはそういう意味があると思っています。

かといって、そんな打算を一番に考えて怒りを表現されたとしても気持ち悪いんですが(自分がそうなりそう笑)

まとめ

いじめに関しては、その原因とか、逆にいじめた方の人の心のケアとか
考えていくと果てしない問題ですが、いざ立ち合ったら僕らが最初にすべきことは、「いじめられた人の前で自分の気持ちを表現すること」じゃないかと思います。
一緒に悲しむのもいいけど、怒りを表現することもきっと、その人のためになります。

以上、もじゃでした。