もじゃトラックス

パンツーラはなぜ足ばかり使うのか

※今回の話と動画は、お世話になった現地のダンスカンパニーの Impilo Mapantsula に賛同してもらってシェアしてます

Pantsula(パンツーラ)のダンスをある程度見たら、疑問に思う。
なんで足メインなの?
なんで地面を踏みまくるの?
なんでこんなに細かい動きなの?
なんでみんな同じ格好してるの?

それには長い理由がある。
これを知ることは実際に踊るのと同じぐらい大事だと思うので、パンツーラに興味ある人は読んで欲しい。

ただし、ちゃんとした資料に基づいた話ではなく、彼らからの聞き取りが大半で、歴史的な部分で足りないところはネット知識で補い、自分の解釈も混ざっている。内容についての正確さは保証できないので、そこだけご了承ください。

先祖と伝統ダンス

南アの黒人は主に8つの民族で構成されていて、一番人口の多いズールーがパンツーラ文化のルーツだ。ズールーでは、自分に続く先祖、今までに亡くなった人は、天国ではなく土の中、地面に伸びる影のように自分のすぐ近くから見守っているとされる。ズールー語のあいさつには相手が一人のとき「サウボーナ」、複数のとき「サニボナーニ」と形が変わるんだけど、タウンシップカルチャーの深い地域では相手が一人でも「サニボナーニ」と言うそうだ。これは、その人の魂や先祖にもあいさつしていることを表すらしい。

その考えは伝統ダンスに表れている。これは先日出た葬式での一幕だ。

みんな足を地面にたたきつけているのが分かると思う。このダンスが先祖とのコミュニケーションとして伝統的に執り行われてきたそうだ。このように、「ステップがコミュニケーションとなる」という考え方をズールー人は大切にしてきた。

葬式には何回か参加したけど、参列者はしめやかにするよりも、たくさんしゃべったり歌やダンスで盛り上がることを大事にしているように見えた。それも、亡くなった人とのつながりが保たれていると思えば当然のことなのかなと思った。

鉱山労働とガンブーツダンス

19世紀の終わりごろ、つらい歴史が始まる。アフリカーナー(のちに南アの支配者層となるオランダ系入植者)が、今の南アの大都市となるヨハネスブルグの地域の地下深くに大量の金が埋まっていることを発見し、鉱山の開発を始めたのだ。南アフリカは他にダイアモンドも発見されたりと、鉱物資源に恵まれていた。

鉱山は大量の労働力を必要とし、アフリカーナーは黒人を法律的に差別することで出稼ぎを余儀なくさせ、鉱山労働に従事させた。働くのは男で、一度召集されたら家族とは遠く引き離され、鉱山近くの宿舎に住み込みで、線路を作ったり発掘する作業に一生かかりきることになった。

鉱山での労働は過酷で、死と隣り合わせのものだった。最も多かった死因は足の感染症。裸足で作業させられていたために足に切り傷が出来て、そこから化学物質が入って死んでしまうそうだ。もう一つの主な死因は事故。発掘作業は、落石・転落、爆発に巻き込まれるなどの危険がつきものだった。

この事故死を助長したのが、黒人同士での会話を禁じるというルールだ。例えば、何台も連結した大きなトロッコを押して運ぶとき、注意喚起の連携が取れなかったせいで反対側にいた労働者が圧死してしまうというような事故が頻発したそうだ。

その内、足の感染症への対策として、ゴム長靴の製造がおこなわれ始めた。足を感染症から守ってくれたこのゴム長靴は、思わぬ結果をもたらした。それは、労働者同士のコミュニケーション手段になったということだ。ゴム長靴は、その足音や側面を叩くことで大きな音が出せる。これを手拍子と組み合わせて、色んなリズムを作れば、素早い合図や返答に使える連絡手段になる。これが会話を禁じられた労働者にとって、安全に作業を行う助けとなった。

すっかり定着したゴム長靴のコミュニケーションはダンスとなり、鉱山の管理者へのパフォーマンスとしても発展していった。鉱山は民族ごとのセクションに分けられていたが、そのセクションごとの定期的なコンペが開かれることすらあったという。これがガンブーツダンスと呼ばれ、今の南アでも親しまれているダンスジャンルの一つだ。自分達で音を出すため、バックミュージックが入ることはまずない。

滞在中に見たパフォーマンスの一つがこちらだ。

ダンス以外にも歌、シャウトなどで鉱山労働の犠牲や痛みを表現しており、南アでも最もエネルギッシュなダンスと言えると思う。

ガンブーツも少し習ったんだけど、そのときに先生が言っていた「このダンスは金鉱で見つかったもう一つの金なんだ」という言葉が印象的だった。

アパルトヘイトとパンツーラ

1948年、アフリカーナーによってアパルトヘイト政策が始まった。
オランダ語で「隔離」を意味するこの政策は、有色人種を民族ごとに隔離し、狭い居住エリアに強制移住させるというものだった。

南アでは父親の方の出自を子供が受け継ぐので、家族内で民族が異なることも多く、それはアパルトヘイトによって家族同士が引き離されることを意味する。移住先は政府の用意した急造の掘っ立て小屋で、衛生もライフラインもひどいものだったそうだ。この強制移住をはじめとして、公共空間の使用、税や家賃、選挙権、職業選択などあらゆる分野で差別が行われたという。

生活に困った黒人の働く先はやはり鉱山だった。もともと、ヨハネスブルグの金鉱労働者は、郊外のソファイアタウンというところに最もたくさん住んでいた。国内外からの移住労働者が集まるこの町は、多様な人種・民族で構成されていたそうだ。それは、アパルトヘイトの隔離政策がより強く押し付けられるということでもある。反アパルトヘイト運動はソファイアタウンで特に盛んだったという。

そして、パンツーラの発祥地がこの町だそうだ。パンツーラの父と言われているガンブーツダンスから足でリズムを作るという特徴を受け継ぎ、パンツーラダンサーは自分達の日々の生活やルーツをダンスで表現したり、上等なコスチュームを集団で仕立てて統一することで、「自分達は差別されるべきではない、自分達は縛られず自由にやる」という意志を示した。

パンツーラはズールー語で、アヒルのようにお尻を後ろに突き出して身をかがめて歩く様子のことを指す。これは、銃を持った警官たち(体制側)と戦うために投擲するレンガを拾うジェスチャーから来ているそうだ。他にも、「警察から逃げる・隠れる」「警察がいないか確かめる」「丸腰アピール」などの動きがあり、アパルトヘイトと戦った歴史が垣間見える。

こういった反体制な表現の影響か、パンツーラはクリミナルのダンスであるという偏見は黒人の間でもまだたまにあるそうだ。でも、パンツーラにとって反体制な表現はそのごく一部でしかなく、重要なのは団結して自分達自身を表現することだった。動きの由来の大半は日々の仕事やヒッチハイク、食料調達の様子、電車が走る音など、自分達の日常生活から来ている。

また、ガンブーツダンスからかなり変化はしつつも、「ステップ=地面の先祖とのコミュニケーション」というルーツはしっかり根付いている。パンツーラダンサーの誰もがスタンバイ時にとる体勢は中腰で頭を地面に近づけてリズムを取る独特なものなんだけど、それは先祖との対話開始を意味しているそうだ。そして何より、地面を踏む勢いにそれが表れていると思う。

アパルトヘイトが解体されてからも、パンツーラは自分達の全てを表現する手段として、コミュニケーションとして、お金を稼ぐパフォーマンスとして、踊られ続けている。実は現地で長く踊っているダンサーほど解釈が自由で、それぞれ個性的だったり遊び放題なところがある。この3人の先生のスタイルの違いを見て欲しい。

Vusi先生

Sello先生

Kgotso先生

まとめ

以上が、パンツーラが生まれるまでのざっくりとした経緯(と僕が思っているもの)となる。今ではパンツーラの次の世代のダンスとして、SbujuwaとかBhengaと呼ばれるダンスが流行っている。反復する動きが大半の踊りやすいステップは南アフリカに広く浸透して楽しまれている。パンツーラから発展したと思われる足さばきもあるけど、地面をスタンプするような動きや、足での音出しは少なくなっている。

それに比べてパンツーラの方は、南アでは良く知られているけど、ストイックでコミュニティー密着型のダンスでもあるため、今ではダンス人口としては少な目だ。でも、彼らを誇りに思う気持ちは誰もが持っていると思う。僕は、よく踊れると「Nice Sound!」と褒めてもらえるパンツーラが、その成り立ちと生きざまに誇りを持っているパンツーラが特に好きだ。

Impilo Mapantsula の皆さんは、パンツーラをちゃんと共有したい、パンツーラは南ア人だけのものじゃない、と常々言っている。僕がレンガを投げるジェスチャーが下手だったときは「レンガを投げに行こう」と外に連れ出すし(タウンシップではレンガは道端で見つかる)、アパルトヘイトを良く知らない、と僕が言うと、ソウェト蜂起の動画を見せてくる。自分だけの動きを作れ、自分のパンツーラを見つけろ、と言ってくる。そんな熱くてオープンな人達だった。彼らを手伝う意味でも、今回の話は書いておこうと思った。

最後に

彼らのところで習うのはとても楽しい体験で、ダンス以外の魅力もたくさん感じた。

挨拶や友達家族への訪問を大事にするところ、止まないおしゃべりと笑い声、「今」を大切にする柔軟でアドリブな生き方、食べ物飲み物のシェア文化、そして多人種で共生しているからこそのおおらかさ。自分の意志を尊重してもらえたり、干渉しすぎないよう配慮してもらえる感覚があった。あとよく晴れててビールがめっちゃ美味しい。

行きたい人がいたらぜひ応援したい。
ただ、危険な地域の話が多い国ではあるので、もし行くのであれば、治安についてのリサーチと、特に外出時に命を守る対策だけはできる限りのことをしてほしい。先生たちの紹介なら僕もできます。

最後に、パンツーラを南アフリカで習って最初に教えてくれて、現地に行くときも先生たちを紹介してくれたAyuさん、ありがとうございます!

以上、では!

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