映画【夜明け前のうた 消された沖縄の障害者】感想


だいぶ前になるが、「夜明け前のうた」という映画を見た。かつて日本政府が沖縄の精神病者の家族に行わせた措置「私宅監置」についてのドキュメンタリーだ。

かなり時間が空いてしまったけど、映画を見て思ったことを書こうと思う。

あらすじ

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私宅監置とは、1900年に制定された精神病者看護法に基づき、精神障害者をその家族が隔離監禁すること(いわゆる座敷牢)を合法的に認めた制度だ。1950年には沖縄以外では禁止になったが、沖縄では日本復帰した1972年まで残った。

1964年に政府から派遣されて実態調査にあたった精神科医の岡庭武さんは、多くの写真と、犠牲者の名前や地名をメモに残していた。この映画の監督である原さんは、それらを頼りに私宅監置の関係者を探し出し、犠牲者の消息を取材していく。その中で、讃美歌や童謡を歌うことが慰めとなっていた人が何人か取材されており、「夜明け前のうた」とは藤さんという女性が隔離小屋の中でよく歌っていた歌のことで、せめてこの歌で彼女の魂が救われていてほしいと願ってつけたタイトルだそうだ。

私宅監置の背景

原監督のインタビューによると、日本は近代国家としての歩みを、弱者を虐げることで推し進めてきたという。

沖縄は、虐げられた土地の筆頭だ。
琉球王国は明治時代にヤマトと併合された後、ウチナーグチを喋ってはいけないという教育的な排斥が行われ、戦時中は日本で唯一の地上戦が行われ10万人以上の民間人が亡くなり、戦後はサンフランシスコ条約によって日本から切り離され、アメリカの統治下となる。その間に米軍基地は沖縄に集中させられ、アメリカ兵を相手にせざるを得なかった慰安婦の人もいた。

そして、社会における弱者…精神病者に対しては、諸外国の脱施設化の動きに反して、日本は戦争と近代化のため施設を増やしそこに隔離する方針を取った。戦後には目的が「経済成長のため」となり、精神病床数は増やされ続けた。私宅監置のことが盛り込まれた法律は、精神病者「看護」法と名はついているが、基本的人権の侵害にあたる「隔離・監禁」を本人の同意なしに家族に家庭内で監禁させ、それを制度的に認めるものだ。

対象は知的障害・行動障害のある人、自閉症の人で、映画で紹介されていた小屋は狭く、窓も小さく、食べ物は専用の穴から差し入れられる形で、排便は部屋の隅の穴から垂れ流し。寝床も固く、服は着たきり、体を洗う場合は小屋の外から水をかけられるようなものだったという。

戦時中においては特に、「家族の恥」「地域の恥」という感覚の強まりから障害者は家族にその存在を隠される。それは法律で認められ、彼らは地域で暮らす一般の人の目には触れないまま、家族は「これは犯罪じゃないんだよ」と法的に許され、その内存在すら忘れ去られていく。

国家が直接的に障害者監禁に関わるのではなく、家族を加害者として口を閉ざさせていたところが悪どい。家族もまた、「人道に反する行為を身内に行った」という傷(罪)を負った被害者であり、映画の取材も困難を極めたそうだ。

現代も続く日本の異常性

原監督は「消された」精神障害者の存在をたどり、彼らの生きた証を世に問うためにこの映画を作った。映画の最後には、私宅監置の犠牲者の名前が読み上げられた。

しかし、私宅監置自体は1950年(沖縄では1972年)に制度が変わり禁止となっても、その後精神病院に長期入院となり、地域に戻れない人がほとんどだったそうだ。つまり、精神病者が国家公認の監禁で自由を奪われたままでいるということは変わっていない。そのことをもう少し深堀りしていこうと思う。
参考:神戸上映トークセッション動画

この件についての日本の異常性は、他国との比較で分かる。日本の精神科の人口当たりの病床数は世界でダントツ一位であり、なんと世界の精神病床数のうち、約5分の1にあたる26万床を占めている。その半分が強制入院で、本人の意思に反するものだ。その中には、身体拘束や性的虐待、いじめなど組織的な虐待をしているところすらあった。(神戸・神出病院のケース)

散歩も入浴も許されない、鍵のかかる病棟に本人が嫌がっても入院させ、それを無期限に延ばせるという時点で、これは恣意的拘禁にあたり立派な犯罪なのに、日本の精神病院では犯罪ではなくなってしまう。日本のように隔離を法律で定め、制度として行ってきたことは世界的にも稀なことで、国連障碍者権利委員会は2022年、日本に対して「強制入院・強制措置は廃止すべき」と強く改善勧告を行った。

どこに誰と住み、何を食べ、どんな生活をするというのを決めさせない、という明らかな差別が日本では特に大規模におこなわれている。そしてそのことは徹底的に隠されていて、一般人は知らないでいたり、しょうがないと目をつぶることで差別を温存するという選択をしてしまっているのだという。

コートジボワール、セヌフォの村の事例

映画内では現代の台湾、ブルキナファソ、コートジボワールでの私宅監置の実態について取材するパートが入っている。

その中で大きく時間を割かれていたのが、コートジボワールのセヌフォの村のやり方だ。障害者に対して、足首には鎖がついていたり、悪霊が憑いているからそれを払うという治療をしているものの、村人の目に触れさせないような隔離はせず、村人も障害者もその状況を受け入れているのではないか、といったニュアンスで紹介されていたと思う。

僕はこの監督の、全肯定はできないが西アフリカでは日本社会と比べて人間が受容されているという感覚がわかる気がする。かつて自分がマリに行ったとき、なんとなくだが「この国では自殺は日本よりずっと少ないだろうな」と思ったのだ。

大きな声で挨拶することを楽しみ、ご飯もみんなで分け合う。異邦人も歓迎する文化もあるし、物質的に豊かではなくても文化的には人をケアしたり吸収できる余地があった。家の中に引きこもっていてはいけない、という文化でもあるので、異邦人にはそれが逆にしんどくなることもあるが、少なくとも「孤独」でいることはない。

思ったこと

私宅監置のことを通じて、弱者に対する日本政府の非道なやり口、現代にまで続く日本での障害者に対する扱いの異常さ、自分たちの生活がどういう犠牲の上に成り立っているのかということを直視させられる映画だった。

自分も特に南アフリカのアパルトヘイト関連で弱者の隔離政策や差別について色々考えたり調べたりしてきたが、自分の住んでいる日本がこのような状態だとは思わなかった。

この映画の文脈で言うと、自分は差別構造の利益を享受している側になるが、では自分に何ができるだろうか。社会を変える、福祉問題に取り組むとなると気の長すぎる話になるし、そのためのアクションを起こすほど自分は自分の人生をやり切ったと言える状態ではない。ただ自分の場合、ずっと取り組んでいるアフリカの音楽とダンス、そして大して敬虔でもないがクリスチャンとしての経験はこの問題に対する救いのヒントになると思う。

音楽とダンスについては、もちろん必ずしもアフリカのものでなくていいが、「今」を一番に楽しむ、存在を伝える、個人を肯定しつつも複数人で共有するという点でアフリカのものは本当によくできていて、人と会う理由や生き甲斐になる。セヌフォの村の事例に通ずるような、人の存在を肯定しオープンにする知恵の蓄積を、アフリカの音楽を通して僕は実感してきた。

また、キリスト教の教会も福祉を担っている面がある。隣人愛という教えを大切にしていることもあるが教会には障害者の人や福祉活動に携わっている人が比較的多いし、何より「神様に自分が愛されている、ありがとう」という祈りの時間を人と一緒に持てることは癒しになる。

これらのコミュニティ・場所は、本当に辛い状況の場合はありがたみを感じるまではいかないかもしれないが、少なくとも「つなぎとめてくれる場所」にはなる。色んな人がいる、ということを実感し、自分がそれを受け入れたり、周りから受け入れられる場所になる。

自分の大切に思える場所や情熱を傾けられる物事について届けたり維持することが、等身大の貢献になるのかなと思った。懐の深い場所作りに関わっていきたい。