「ガザとは何か~パレスチナを知るための緊急講義」を読んで


前書き

2024年10月7日、ハマース主導の戦闘員たちがイスラエルへ越境攻撃を行い、それをきっかけにパレスチナとイスラエルは戦争状態に入った。その後、「イスラエルの攻撃が度を越している」「これは大量虐殺だ」という趣旨の言説・映像がその実態とともにSNSでたくさん入ってくるようになった。

人口が密集しているガザという地域にイスラエルが大規模な攻撃を行っており、どうもイスラエル兵が率先して残虐な行為の様子を発信しているケースすらあるようだった。

「こんなことをしていたらすぐ国際社会の反感を買うのに、なぜこんなに開き直っているかのように発信できるのか?なぜ彼らの虐殺は許されているのか?」という疑問が沸く中で、岡真理さんの著作「ガザとは何か~パレスチナを知るための緊急講義」の情報が流れてきたので読んでみた。

この問題を報じるとき、ほとんどのメディアは以下の情報を端折っている。
①歴史的経緯も含めた上で、イスラエルとパレスチナのどちらに非があるのか
②このような状況になった責任はどこにあるのか
③実際どの程度アウトな侵略行為・発言・態度をイスラエルがしているのか

この三つをなるべく多くの人が正しく理解しないと、この問題は解決に向かわない
「ガザとは何か」は、そのことを実感させてくれた本だった。

この問題に興味が沸いたらまずは、とにかく「ガザとは何か」を読んでほしい。知るべきことも、やるべきことも書いてある。

この記事では、本に書かれているこの問題の歴史的経緯を他のソースからの情報で補完しつつ、時系列に沿って整理していこうと思う。かなりの分量になるが、まずはそれを理解することが、パレスチナからはるか離れた自分たちにとって、この問題について自分事として考えるための最初のきっかけになると思うからだ。

この記事が、まだ本を読んでいない人が読むきっかけになってくれたら一番嬉しい。

四つの要点

本の冒頭で示される要点が四つある。本記事の姿勢も、以下の四点に則ったものになる。

現在起きていることはジェノサイドに他ならない

10月7日のハマース主導のパレスチナ人戦闘員によるガザからイスラエルへの越境攻撃に対して、イスラエルは12月中旬までで2万9000個以上の爆弾をガザ地区に落とし、死者数は4か月で3万人超、うち4割~半分近くが子供。この死者数は病院で死亡が確認された分だけであり、倒壊した建物の下敷きになっていたり、その場で埋葬されたり放置された人の分は入っていないため、実際はもっと多い。

これは明確にジェノサイドの定義にあてはまる暴力であり、イスラエルがそれを行っている。

歴史的文脈を無視してはいけない

問題の根源に立ち返って報道していたなら声を上げていたかもしれない人たちも、「憎しみの連鎖」「暴力の連鎖」などの簡易な言葉でまとめる報道によって「どっちもどっち」というスタンスで距離を置くことで、自分たちもジェノサイドの共犯者になってしまう。

自分もまさに距離を置いていた一人だったが、経緯と実態を知ってしまうと、全く今までのぼんやりした印象とは違う光景が見えてくる。正しく知るというのが、もっとも基本的なことだと本の中にも書かれているが、その通りだと思う。

報道で捨象されているイスラエル国家の成り立ち

これは捨象されている歴史的文脈そのもの、つまりイスラエルという国家が入植者による植民地国家であり、パレスチナ人に対するアパルトヘイト国家(特定の人種の至上主義に基づく、人種差別を基盤とする国家)であるということ。

これは歴史的事実であり、パレスチナ問題について国際社会が共有すべき前提となる。

国際社会の罪

これまでイスラエルが犯してきた数えきれないほどの戦争犯罪、国際法違反、安保理決議違反に対して国際社会はひとたびも裁いてこなかった。

イスラエルに対しては不処罰、戦争犯罪行為を不問に付すという”伝統”が国際社会には形成されており、それを私たちが許してきてしまっているということ。これが何十年もさんざん繰り返されており、その結果として今の事態がある。

パレスチナの歴史

なぜこのような状況が生まれたのかについて、2000年ほど遡って追ってみる。青文字の部分は、自分が特に強調したい箇所。

古代~中世のパレスチナとアラブ人・ユダヤ人の動き

■ユダヤ人がパレスチナ地域を追われる(紀元60~70頃)
パレスチナ地域に住んでいたユダヤ人はローマ帝国の属州からの解放運動を試みたが鎮圧され、ヨーロッパ・北アフリカ・中東へと離散する。

■ヨーロッパでユダヤ教徒が迫害される(紀元313~)
キリスト教がミラノ勅令によってローマ帝国の国教となると、イエス・キリストが生まれる以前の聖書(トーラー)を経典とするユダヤ教徒は、キリストが救世主であるとは認めないため差別の対象となった。

■パレスチナ地域がアラブ化する(紀元638~)
エルサレムがイスラーム教勢力によって征服され、パレスチナ地域のアラブ化が進む。以降、十字軍やエジプト起源の帝国に支配される時期を挟みつつも基本的にはアラブ由来の多宗教・多民族の住まう地域として近代まで存続する。

■一部のユダヤ人が財閥化する(16世紀~)
ヨーロッパのユダヤ人は労働組合から締め出され、土地も所有できなかった。その結果、キリスト教では卑しい職業として避けられていた&場所を選ばないという理由で金融業を営んだ一部のユダヤ人は富を蓄えた。また、自分たちの宗教を守るため教育に力をいれたことで識字率も高く、知識階級や財閥(もしくはその両方)として、近代化とともに各地で影響力を持ち始める。

シオニズムの誕生

■宗教的な差別から人種的な差別へ(19世紀末~)
近代市民社会になり信仰の自由が認められ、これで差別もなくなっていくと思われた矢先、フランスでユダヤ系大尉が国家機密漏洩の冤罪をかけられ終身刑となった(ドレフュス事件)。

「フランスのために戦う立場の人間(その土地に同化したユダヤ人)であってもユダヤ人であるというだけで差別はされる」という事実はユダヤ系知識人に大きな衝撃を与え、後のシオニズムへつながっていったと言われている。

■シオニズムの誕生(1896)
オーストリア=ハンガリー帝国出身のジャーナリスト・ヘルツルが「ユダヤ人国家」を発表。ユダヤ人によるユダヤ人のためのユダヤ人の国を作る「シオニズム」を推進する内容で、翌年スイスでシオニスト会議が開催される。

この会議で聖地エルサレムのあるパレスチナにユダヤ国家を建設することが決議され、シオニズムに基づくパレスチナへのヨーロッパ・ユダヤ人の入植活動が始まることになる。入植と書くとまるで手続きを踏んでいるかのような印象もあるかもしれないが、要は「勝手にその土地へ移り住み、居座ること」である。侵略とニアリーイコールだ。

ただし、シオニズムは敬虔なユダヤ人、正統派ユダヤ教徒には人気がなく、反対されてきた。なぜなら、自分たちのいろんな国への離散状態、被差別状況を試練ととらえ、その国で平和を実現すること、メシアを待つことがユダヤ教の教えだったからだ。

シオニズムを推進した人々は同化ユダヤ人(その土地の民族と同化することを選んだユダヤ人)かつ非宗教的な人々であり、彼らは宗教的な熱情に駆られてではなく、政治的に聖書の物語を利用していった。

ユダヤ人のパレスチナへの入植

■第一次世界大戦とイギリスの外交戦略で対立が深まる(1914-1918)
シオニズムが高まるにつれてユダヤ人の一部はパレスチナを目指した。移住者はアラブ人から土地を買えるような豊かなユダヤ人に限られ、それが貧しいアラブ人との対立を生んだが、第一次世界大戦でのイギリスの帝国主義的な外交戦略がその対立をさらに深めた。

イギリスは、パレスチナ地域の自治や支配をめぐって、互いに両立不可能な約束を三つ結んだ。

一つ目の約束。
イギリスは、オスマン帝国にて独立の機運を高めていたアラブ人を利用してドイツ・オーストリアとの戦争で優位に立つため、アラビア語と考古学に精通した一人の青年将校(トーマス・エドワード・ロレンス)に、アラブ人指導者(ファイサル・フサイン)と「オスマン帝国で内乱を起こし、イギリスへの経済的優遇と防衛的同盟関係に入ってくれるなら、アラブ人の独立を認め支援する」との約束をするという密命を託し派遣(フサイン・マクマホン協定)。

二つ目の約束はそれと並行し、大戦後にフランスとオスマン帝国の領土(地中海領土)を分配しあうというものだった(サイクス・ピコ協定)。
イギリスはオスマン帝国との戦争にあたりロシアの支持を必要としたため、ロシアによるダーダネルス・ボスフォラス海峡とイスタンブル(コンスタンティノープル)併合に同意したのだが、その見返りとして設定した約束だった。こうしてオスマン帝国の東アラブ地域はイギリスとフランスの支配地域として分割され、パレスチナ地域は国際管理地域(後にイギリス管理)とされた。

そして三つ目の約束。
イギリスはアメリカの有力ユダヤ系財閥ロスチャイルド家にアプローチし「パレスチナにおいてユダヤ人国家の設立に向け最善の努力を行う」と宣言した(バルフォア宣言)。
これはシオニズムに目をつけた結果としての戦略で、以下の目的を一挙に達成できるというものだった。
・当時まだ参戦していなかったアメリカのユダヤ人勢力から資金援助を受ける
・ドイツと講和しそうになっていたロシアを自分たちの方に引き付けるためにロシア指導者層のユダヤ人を味方につける
・国際管理地域としていたパレスチナ地域からフランスの勢力を排除する

※画像は参考サイトの世界史研究所より

帝国主義的などという言葉ではとても足りないこの「三枚舌外交」はつとに有名で、現在のガザ地区の状況の起源としてしばしば取り上げられる。その目的は、当時ドイツと連帯してその一帯を治めていたオスマン帝国を陥落すること…というより、その支配下のパレスチナの石油の採掘権を得るためだった。

イギリスの甘言によって国家建設の夢に燃えるアラブ人とユダヤ人の反乱でオスマン帝国の要所は陥落し、石油の採掘権は目論見通りイギリスのものとなった。

しかし、パレスチナに関してはイギリスはアラブ人との約束を反故、ユダヤ人との約束を優先し、ユダヤ人の入植を認めた。これがユダヤ人に対しイスラエル建国への大義名分を与える形となり、アラブ人の反感と敵意はますます深まることになる。

欧州によるユダヤ人差別が頂点に達し、パレスチナでの争いも激化

■ナチスによるユダヤ人差別の本格化(1933~)
第一次世界大戦の賠償金と世界恐慌によって不況に陥っていたドイツで、ヒトラーがユダヤ人への人種差別感情を利用し「ユダヤ人が不況の原因」と煽ることで人心をつかみ台頭。ユダヤ人に対する不買運動、人種法などの迫害が始まり、ユダヤ人のパレスチナへの入植も急増していく。パレスチナに入植したユダヤ人は貧しいアラブ人から土地を買い取った。街が作り変えられていくに従い、アラブ人の反乱も過激化していった。

その際アラブ人勢力は現地のパイプラインへも攻撃を始めたが、石油だけは守りたかったイギリスはパレスチナへのユダヤ人入植者数を制限し始めた。ユダヤ人との約束だけでも守るというそのポーズすら保てなくなったのだ。もともと無理しかないので当たり前の帰結だが…

アメリカもユダヤ人の移民が急増したことで受け入れを拒否し、多くのユダヤ人がヨーロッパに留まることを余儀なくされた。

■第二次世界大戦とホロコースト(1939~)
ナチスのユダヤ人迫害の範囲はヨーロッパ諸国の陥落に従って拡大した。

ユダヤ人は隔離地域に追い込まれ、病気と飢えでその多数が死亡。ソ連侵略の過程でも戦場で虐殺され、殺人を目的とした収容所、アウシュヴィッツやトレブリンカが建設され、労働力とみなされる者以外は毒ガスで殺害された。

ナチスを敵視するユダヤ人は米英仏など連合軍に協力したのに対し、アラブ人はドイツに協力した。この立場の違いがさらにパレスチナでの両者の対立を深める。

■アウシュヴィッツ開放(1945)
ナチス・ドイツが敗れて、ソ連軍がアウシュヴィッツを開放。

しかし、ホロコースト生還後も自国へ帰ったら自宅がクリスチャンのポーランド人に奪われていた、自宅が破壊されていた、帰った故郷の村で集団虐殺されたなどを背景にヨーロッパを離れたユダヤ人25万人が難民となる。

国連がユダヤ人差別の責任をパレスチナに負わせる

■パレスチナ分割案の可決(1947)
パレスチナでの民族紛争に手を焼いたイギリスが、当時発足したばかりの国際連合にこの問題を付託。国際連合の総会で「パレスチナを分割し、そこにヨーロッパのユダヤ人の国を作る」が決議にかけられた。

当時、パレスチナに入植済だったユダヤ人は60万人だったのに対し、アラブ人の人口は120万人。ユダヤ人の土地はパレスチナの6%。パレスチナ分割案は、この状態からパレスチナの国土の半分以上、それも比較的豊かな土地をイスラエルに与えるというものだった。

気が狂っている分割案

この案が決議にかけられる前に特別委員会のアドホック委員会が分割案を審査し、
①ユダヤ人国家はいいがアラブ人国家は経済的に存続不可能になること
②国連が委任統治(イギリスの植民地として)していた土地を全く別の国として作り直すことは国連憲章違反であること
③ホロコーストと何ら関係のないパレスチナ人に代償を支払わせる形でヨーロッパのユダヤ人難民問題を解決させるのは政治的に不正(unjust)であること
④このような案は採択されても機能しない(unpractical)こと
を国連に報告。

しかし、不正かつ非実用的とされたこのパレスチナ分割案はなぜか可決される。
ホロコーストの記憶によるユダヤ人への同情的な機運に加えて、ユダヤ系難民に出て行ってほしかったソ連とユダヤ系財閥の支持が欲しかったアメリカによる多数派工作が行われたためだ。

国際連盟は第一次世界大戦後、近代戦争の想像を絶する悲惨さに各国が衝撃を受けたため設立されたと言われている。その目的は今後の戦争を防ぐこと、紛争を平和的に解決することだった。その後継ぎとなる国際連合も、紛争の仲裁や戦争の予防、人権の保護がその活動内容とされている。

しかし、その発足直後の決議の内実は、迫害されたユダヤ人のためのイスラエル建国との聞こえはよくとも、自国の利益だけを追求したい欧州・大国がアジアの国を踏みにじって虐殺への道を整えたというものでしかなかった。

確かにヨーロッパのユダヤ人はレイシズムの犠牲者だが、自分たちの人間解放を目指したとき、帝国の武力を背景にしてパレスチナに建国することを全く怪しまなかった。それはヨーロッパの植民地主義の考え方そのままだ。

大戦後もなお、国際連合による承認というお墨付きとともに、問題解決に植民地主義を用いることが正当化されてしまったのだ。ヨーロッパのユダヤ人差別に端を発し、イギリスがひっかき回して放っぽり投げたパレスチナ問題は、ここに至って一気に責任が分散した。

アパルトヘイト国家イスラエルの誕生

■イスラエル国家の成立と虐殺(1947-1949)
イスラエルは独立の宣言後、組織的・計画的な民族浄化(パレスチナ人の虐殺)を行った。1948年にはアラブ人の村民100人以上が老若男女問わず虐殺されたデイル・ヤーシーン事件があり、虐殺首謀者のプロパガンダもあって長らくこれが代表的に扱われていたが、実際の虐殺はデイル・ヤーシーンを上回る規模のものを含めて多数の集団虐殺があったことが分かっている。

差し迫った恐怖に駆られて逃げ出し、国境を越え国へ帰れなくなったパレスチナ人は75万人にのぼる。この数年間の虐殺は、ナクバ(大いなる災厄)と呼ばれている。

すこし話が逸れるが、包括的にパレスチナ問題の経緯を解説しているメディアであっても、ナクバについては省略されていることが非常に多い。イスラエルとパレスチナが衝突した、ぐらいにさらりと済まされていたり、建国後第一次中東戦争が起こったとだけ書かれていたり。

イスラエルでは、パレスチナへの暴力・民族浄化によって自分たちの国が作られたという記憶は徹底的に抑圧されているとのことだが(ナクバを学ぶ教材は使用禁止、ナクバを悼むことは禁止など)、まるでそれが世界単位で行われているかのような印象を受けた。

イスラエル出身の反シオニストのユダヤ人イラン・パぺは『パレスチナの民族浄化』という本の中で
「シオニズムとは、アラブ人が多数を占めるパレスチナに、ユダヤ人が多数を占める国を建設するということであり、民族浄化つまり虐殺が不可避なものとして組み込まれている」
という趣旨のことを書いたのだが、イスラエルの教授会で大学追放決議がなされたのち、命を脅かす内容の脅迫が及ぶようになりイギリスに移っている。

こういった圧力が過去にあった結果として情報が出づらいのか、国連が承認して建国された国が最初に行ったことが大虐殺である、ということ自体が触れづらいのか。

世界がイスラエルの犯罪を是認した結果として、イスラエルの閣僚は平気でこの現代に「ガザのパレスチナ人に対してもう一度ナクバを味合わせてやる」などの発言すらできるようになっている(アヴィ・ディフテル農相・アリエル・ケレル国会議員)。

歴史についての解説というなら、メディアはナクバの実態については最優先で載せるべきだと思う。

■無視される世界人権宣言(1948)
その最中の1948年、国連総会で世界人権宣言が採択され、その総会決議では以下のように述べられている。
・自国に還ることは基本的人権
・イスラエル建国によって難民となったパレスチナ人に対しても即刻自分たちの土地へ還られるようにするか、帰還を希望しない場合は彼らが故郷に残してきた財産を補償すべし
しかし、客観的に見ても根本原因を作った国連がどの口で言っているんだという内容だ。

何ら強制力のないこの決議に当然イスラエルは従わず、ナクバで難民となったパレスチナ人は、75年間ずっと故郷に帰れないでいる。ナクバは終わってしまった過去の出来事ではなく、現在進行形の事態なのだ。

現代まで続くイスラエルの侵略

■イスラエルの軍事大国化と、カウンターとしての民族解放運動組織の発足(1957)
パレスチナでは民族浄化によって75万人が難民化した9年後の1957年、アラファト議長率いる民族解放運動組織「ファタハ」が発足する。その間もイスラエルはアメリカの軍事的サポートとユダヤ系資本を後ろ盾に、軍事大国として成長していった。

1967年の第三次中東戦争で圧勝したイスラエルはパレスチナのガザ地区、ヨルダン川西岸地区、エジプト・シリアの一部を一挙に占領した。国連安全保理事会はイスラエルに対し、撤退を求める決議を出したがイスラエルは応じなかった。

ここに至ってパレスチナ人は「国際社会は自分たちを気の毒な難民と思ってテントや食料は支給してくれるが、この歴史的な不正を政治的に解決し、自分たちを故郷に返す意思はない」ということを痛感する。

であれば、自分たちの手で祖国を開放するしかない。そう思う者たちがPFLP(パレスチナ解放人民戦線)やDFLP(パレスチナ解放民主戦線)のような武装組織を立ち上げた。

■インティファーダ、そしてハマースの誕生(1987)
入植と領土拡大に励むイスラエルに対して、国際社会は「イスラエルの占領は違法」としながら、実効的な措置は何も取らない。それに対する40年の鬱積が1987年、パレスチナで爆発した。

これが反占領闘争「インティファーダ」で、 デモやストライキ、子どもの投石、イスラエル製品の不買などの抵抗運動は世界中に占領の実態を知らせ、イスラエル内にも占領の是非を問う議論が起こった。

このとき、イスラーム主義を掲げる民族解放組織「イスラーム抵抗運動(通称ハマース)」が生まれる。掲げる主義の種類が異なるだけで、PFLPやDFLPと同じく占領された祖国を開放するための組織であること、それは占領された国の当然の権利であることを強調したい。

■オスロ合意の欺瞞と第二次インティファーダ(1993~)
1991年、湾岸戦争でイラクがクウェート侵攻し、「パレスチナ占領に対抗する戦略」としてイスラエルにミサイルを放った。その背景もあり、1993年、イスラエルはパレスチナ解放機構(PLO)と相互承認して
・イスラエル軍は占領しているヨルダン川西岸やガザから漸次撤退する
・パレスチナが暫定自治を始める
・五年間の間に最終的地位について合意し、公平で永続的な包括的和平を実現する
という合意(オスロ合意)に調印した。

しかしオスロ合意からもイスラエル人はパレスチナの入植地を絶え間なく拡大し続け、入植者の数は合意からの7年間でそれまでの1.5倍となる。

オスロ合意が失敗に終わった原因として、報道ではイスラエルとパレスチナ自治政府を担っているファタハは二国家で平和共存していこうとしているのに、ハマースが和平に反対しているとされている。

確かにパレスチナ全土開放をかかげるハマスがオスロ合意に反対したのは事実だが、イスラエルはそもそも主権をもったパレスチナ国家を作らせる気など毛頭なかったのは、入植行為から明らかだ。

独立の夢を見させられ、裏切られたパレスチナ人の絶望が、オスロ合意から7年後の2000年第二次インティファーダとして爆発した。

きっかけは、イスラエルの政治家のシャロン氏がエルサレムの「岩のドーム」と言われるイスラム教の聖地に赴いたことだった。イスラム教徒がお祈りをしている前で彼らの聖地をイスラエルの政治家が一周した。これがイスラム教徒によって決して侵されてはならない不文律なのはシャロン氏ももちろん分かったうえでの政治的なメッセージだ。

禁忌を侵され、パレスチナを認めないという態度を目の当たりにしたイスラム教徒たちは暴徒化した。

第二次インティファーダではハマースだけでなくファタハ、PLFP(パレスチナ解放人民戦線)の戦闘員もイスラエル領内に入っての自爆攻撃などを行い、報復としてのイスラエルからの攻撃も増えていった。

■イスラエルがガザから撤退し、ガザ完全封鎖を開始(2005年~2007年)
そして2005年、ガザからイスラエル人入植者もイスラエル軍も撤退した。イスラエル首相はこれを「和平のため」としたが、ガザを撤退した入植者は結局ヨルダン川西岸に新たに入植している。

この撤退によって、今後行われるガザ全土に対する無差別攻撃と、ガザの完全封鎖が可能となった。

2006年、日本でいう総選挙がパレスチナで行われ、ハマースが勝利を収めるが、ハマースをテロ組織とみなすイスラエルやアメリカはハマースの政府を認めず、アメリカがファタハに、ハマースに対するクーデターを起こすように画策。その結果、パレスチナはガザのハマース政権とヨルダン川西岸のファタハ政権に分裂し、ハマースを政権与党に選んだパレスチナ人に対する集団懲罰として2007年、ガザの完全封鎖が始まる(集団懲罰は国際法違反)。

なお、2014年にはパレスチナ内部で統一政府を実現しようとする動きがあったが、分断統治を維持したいイスラエルが計画したとされる51日間戦争によって潰されている。

まとめ

この記事では、歴史についての整理は一旦以上にしておこうと思う。

現代まで、封鎖と暴力と侵略はエスカレートし続けている。
今年の1/26には、南アフリカによる提訴で国際司法裁判所がイスラエルに集団殺害防止の暫定措置を命令したものの、イスラエル大統領はジェノサイドの存在を否定し、「ハマースこそが民間人を盾にしており、自分たちは民間人を危険から遠ざけるために最大限の努力を続ける」などと、実態と乖離した態度をとり続けている。

2008-2009年に起きた最初のガザに対するイスラエルの攻撃の後、国連が調査団を派遣して、南アフリカのリチャード・ゴールドストーンというユダヤ系の弁護士が代表となり非常に公正な調査をした。このときの調査結果は、「双方に戦争犯罪は認められるけれども、イスラエルの方が圧倒的である」というものだった。この戦争犯罪は裁かれることなく今に至っている。

書くべきことは本当はまだまだある。
漸進的ジェノサイドとも呼ばれる、2024年の現在まで続く封鎖はどのような生き地獄なのかについて。無差別攻撃の残酷な実態について。自爆テロについて。イスラエルのパレスチナ人に対する戦術、使用している武器がどれほど非人道的なのか。イスラエルがどれほど嘘にまみれたプロパガンダを発信しているのか。どれほど利己的な目的で、何を潰したくて、それが行われているのか。そして、国際社会がどれほどそれに対して無責任で居続けているのか。

が、それを書いていくとこの記事は「ガザとは何か」の引用で埋め尽くされてしまうので、本の方をぜひ読んでほしい。

メディアでは、ハマースはテロ集団であるとか、IS(イスラム国)のような暴力集団が武力でガザを制圧し、支配しているかのような印象を与える報道や、2023/10/7のハマースの越境攻撃の戦争犯罪性をクローズアップするようなものも多いが、「ガザとは何か」にはその印象をほぼひっくり返すようなことが、公平なソースの引用で書かれている(筆者の立場として中立でないのは当たり前で、この状況で中立というのは虐殺に加担することに他ならないからだ)。

本には、一人一人のやるべきことも書かれている。
政治的な解決はともかくとして、イスラエルに虐殺・封鎖・侵攻をやめさせたいと思ったなら、まずはイスラエルの戦争犯罪について拡散し、国際社会のイスラエルの戦争犯罪を裁かないという伝統に対して異を唱えること。そして、イスラエルのやっていることを許さないという意思を示すこと。イスラエル資本企業のボイコット、デモがあれば参加するなどだろう。「BDS運動」で調べてほしい。

ユダヤ人の中にも、ホロコーストを経験したユダヤ人だからこそ、イスラエルという国を認めないユダヤ人は大勢いて、彼らも抗議集会を開いたり施設の占拠で声をあげている。ユダヤ人国家イスラエルの建国はレイシズムに基づく植民地主義的な侵略であり、パレスチナ人を民族浄化することによってそれは成された。実態を知ってしまえば、こんなことを容認できるわけがない。しかし欧州は、イスラエルの犯罪行為を是認し、パレスチナを犠牲にすることで、歴史的ユダヤ人差別の責任をあがなっている。

国際社会は人種差別に対して何もできてこなかったわけではない。ドイツはホロコーストの責任を問う裁判を今もナチス幹部一人ひとりに対し続けているし、南アフリカはアパルトヘイトに対する経済制裁を受けた。では、現在進行形のアパルトヘイト国家イスラエルに対して自分たちはどう対応するか。人ひとりでも、行動に起こすことはできる。

一日も早く今の戦争が終わり、ガザ封鎖が解除され、ヨルダン川西岸からイスラエル入植地が撤退し、パレスチナ地域が独立できる日が来るように祈りつつ、自分もできることをしていこうと思う。

参考

最後に、「ガザとは何か」で紹介されているイスラエルの犯罪性を物語る実例の一部と、本記事を書くにあたって参考にした記事・サイトを載せておく。

■イスラエルが独立記念日と呼ぶ日に毎年行われる、「アラブ人に死を」「お前の村を燃やしているぞ」と叫ぶイスラエル右翼のデモ

■イスラエルの使用している白リン弾による被害(空気に触れている限り鎮火しない非人道的兵器)
※被害にあった子供の画像が載っています。衝撃が強いので注意
・Warrick Page Photography
・WATAN Innocence Under Fire: Child’s Ordeal Exposes White Phosphorus’s Brutal Toll in Gaza

■参考サイト
・世界史の窓
・パレスチナ問題がわかる イスラエルとパレスチナ 対立のわけ
・なぜ対立が続くの? 1からわかる!イスラエルとパレスチナ(2)
・【わかりやすく解説】パレスチナめぐる歴史とは――英の三枚舌外交、4度の中東戦争、オスロ合意
・なぜ、ホロコーストは起きたのか
・映像の世紀バタフライエフェクト 「砂漠の英雄と百年の悲劇」
・ちきりんの日記 ぐちゃぐちゃにして放り出すアメリカにうんざり
・ちきりんの日記 イスラエル旅行の記憶
・ガザ危機と中東の激動
・「ガザ地区」を知ろう
・パレスチナ問題の経緯
・イスラエルへのテロを主導する、ハマスとはどのような組織なのか?
・最新パレスチナ情勢 なぜイスラエルと衝突?ハマスって?解説
・アメリカがイスラエル寄りの理由
・アメリカはなぜイスラエルを支持するのか? トランプ氏が仲介した「アブラハム合意」とは?<Q&A>
・病院もインフラも壊された…ガザに援助を続けてきた日本政府が今やるべきことは?中東研究者の考えは
・国際司法裁判所、イスラエルに集団殺害防止の暫定措置を命令
・親イスラエル国家 アメリカで何が?
・【1分で分かる】パレスチナ問題を分かりやすく解説。ハマスとイスラエル対立の背景は?
・中東に100年消えない火種をつくったイギリスの「三枚舌外交」
・世界史研究所 パレスチナ問題の起源:第一次世界大戦期のイギリス三枚舌外交
・第34回 トルコ革命とパレスティナ分割
・ガザでの死者3万人超、全域で少なくとも57万6千人が餓死寸前…国連報告