より深みにハマった合図


GWで関西に帰省中である。
最近、ジェンベの楽しみ方が初心の頃に戻ってきたので、その話。

叩きたいという衝動

ジェンベに初めて触れた13年前、その最初の数か月は
ただ触っていたい
ジェンベに慣れたい
みたいな気持ちで河原に一人で通っていた。

フレーズは数個しか知らないのでネタはすごく限られているけど、それを延々叩くだけで十分楽しかった。

そしてある程度叩けるようになり、ダンスと一緒に叩いたり仲間と叩いたりを安定して楽しむようになると、一人練をあえて選ぶことが減っていき、近年はごくたまにしか一人練をしなくなった。

そして今また、頻繁に河原に通うようになっている。
人とジェンベを叩ける場所に行く優先度も上がり、一週間に何度も叩くようになった。

一人練を当たり前にやりたくなり、叩ける場所へついつい足が向く感じが、叩き始めた最初の頃と似ているのである。

太鼓にこだわる

なぜジェンベを叩く熱が大きくなってきたのか
そのきっかけとしては去年、TDF
ジェンベについての2つの大きなイベントがあったのが関係している。

ひとつは
自分の好みの状態(タッチが柔らかくテンション低めでトンが響く感じ)を求めて皮張りをしたこと。

もうひとつは
自分のパワーとか手の大きさに合うんじゃないかと大きいジェンベ(ジェンベバと言うらしい)を買ったこと。

一言で言うと、
「思い入れの深いジェンベ」が二つできた。
楽器と自分に向き合ってみたというか。

右がジェンベバ。最初に叩いた印象は「打面が運動場みたい(に広い)」でした

ジェンベバを買ったときに、
古い方を今までの半分しか叩いてあげられなくなるんじゃないか
という不安があったが、
「今までの2倍叩けばいい」というタクミさん(工房長)の言葉で解決。

確かに、手持ちの太鼓を増やすというのは
楽器のことを考えれば、その音楽にもっと時間を費やす覚悟を持つということだ。
だから、買う⇒より多く叩く⇒結果楽しくなる
というのは自然なことかもしれない。

ちなみに、久しぶりの皮張りをしたのも「自分でも張ってみるといいよ」とタクミさんに言ってもらったことがきっかけだった。
慣れない皮張りに挑むことも、方向性のはっきりしたジェンベを求めるのも、勇気がいることだ。
その言葉に至る色々もあったと思うけど、やはり太鼓屋さんは深く楽しむ術を知っていて、それをリードしてもらえたんだなと思う。

といっても、
・カスンケやコンゴニも持っているのにあまり叩けてない
・タマも2台持っていて1台はほぼ家の中
・最初に買ったギニアジェンベは実家に置きっぱなし
・たま~にポロポロ弾くだけのンゴニ
という形で、まだまだ楽器を所有した責任は果たせずたまりまくっている状態だ。
伸びしろがスゴイということにしておこう。
まずは実家の破れたままのジェンベの皮張りをmetriさんに依頼した。

音にこだわる

また、ジェンベバを演奏する上ではスラップにこだわった方がいいということで、買った後にマリのオールドスタイル?的なスラップの出し方についてのワークをしてもらえた。それからしばらく音の練習をしているんだけど、ここ最近はちょっとした改善がみられて、叩くのが楽しいのはそのおかげでもあるのだ。

それで実感したのが、理想の音を持つことと、それに対して「自分には出せる、出しうる」と現実感を持って向かうことがめっちゃ大事だということだ。

映画のマトリックスで「速く動こうと思うな、速いと知れ」というセリフがあるけど、それに似ていて
「良い音を出したい」というよりは、「これぐらいは実際に出せると知る」ことで近づく方向が分かる。
だから、生のお手本と一緒に練習したり直接教えてもらうのが大事なのだと思う。

音の向上にはキリがなく、掘り進んでいく楽しさのようなものがある。
一緒に叩いている人からたまに感想をもらうことがあるけど、思ったように聞こえてないということも多く、こだわっているからこそ、そのギャップにまた燃えたり。
慣れ親しんだフレーズであっても、音が違えばどう印象が変わるのか、あるいは日によって時間によってどういう音になるのかという楽しみが増えたり。
深み、キレ、腕の振り方は、勢いは?そのために普段の生活で何に気を付けるか?
などなど
今までも音は大事だと思っていたけど、現状維持がちなところがあった。
それが、よりこだわり始めることで他のことにも意識が向いて、「ただ叩く」という中に試行錯誤できる余地が増えた。

一人練にウキウキ向かうのは、音がどれぐらい良くなったかなあ、今日の音は良いかなあと確かめたいからというのもある。

楽しさを支えるもの

今の楽しさは、今まで他の人の活動に関わったり教えを請いながらマイペースにやらせてもらってきたことの上に成り立っているとしみじみ思う。

気の置けない仲間とやるアフリカンの楽しさを等身大で味わった学生時代
マリに滞在した経験や、他の色んな楽器も習いながら徐々に理解してきたこと
ダンスクラスに叩かせてもらいに通った日々、色んな人と演奏できる練習会

一人練が楽しいとは言っても、その経緯も含め
コロナ禍でも叩ける環境を整えてくれる人たちや、合わせて演奏できる仲間がいてこそのものだ。

最近は場所を大切にしたいという思いも強くなってきている。

まとめ

先日思いついた仮説があって
ジェンベ叩きとしての上達のイメージについて、螺旋を描きながら上がるような道のりだとする
そして、色々なことが新鮮になり、叩くのが楽しくてしょうがなく、太鼓ハングリー状態になるというのがステージが変わった合図なのではないか
それが次の周に行くということなのでは
ということ。

つまり、第一章完&新章突入的な感覚。
だって、楽しさとしてはまた最初に戻ってきており、目の前には音以外にも大きい課題が見えてきたところなのだ。

ともあれ、
ジェンベを続けてきて良かったな、というじんわりした幸せ
続けることができているありがたみ
を感じている今日この頃、という話でした。

↓逆光でいい感じに撮れた一人練