アフリカンとの出会い


こんにちは。もじゃです。

今日はアフリカンとの出会いについて書きます。

僕の行動の癖について

大学時代、僕は受動的に活動的な人間でした。
どういうことかというと、まず、自分からいろいろと行動を起こしたり主体的に引っ張っていくことはしない。
そういう意味では奥手なほうでした。ここが受動的。
でも、一回誰かに『やってみる?』と聞かれたら大体『Yes』と答えるようなところがありました。ここが活動的。
具体的には
①入学式で勧誘に捕まったのがきっかけで、未経験から4年間部活でバレーボールをやり通した
②絵は好きだったので美術部に入った。大好きな場所だったが、絵を描くのは部展があるときだけだった
③志願制の演劇企画があると、なんとなく手を挙げていた
などなど。
きっかけがあるまではじっとしていて、あれば飛び込んでみる。後はなるようになる。という感じでしたね。

タリベとの出会い

タリベというアフリカンサークルに入ったのも、この性格的な傾向に助けられた部分は大きいです。
もともと、なんか野性的で太鼓とダンスがカッコいいサークルがある、と聞いてはいて。
遠巻きにならステージを見たこともありました。確かにかっこよかった。

当時、僕は誘われて入ったイベントサークル『がいごのすゝめ』で、渉外として出演者とのやりとりを担当していました。
そのときは『プロムのすゝめ』というイベントを企画しているところでした。
宣伝の一環でタリベに野外演奏をしてもらったとき、太鼓を吊り下げ、立奏で動き回り、アピールしているその柔軟性にも驚きました。

アンプとかいらないし、どこへでも行けるやん。

『プロムのすゝめ』当日、そのライブ企画のトリとしてタリベの舞台を始めてまともに見ました。
太鼓がすごく鳴ってて迫力がありました。ダンスも迫力がありました。歌も最高でした。観客がみんな熱狂していました。
臨場感とか、躍動感とか、一体感とか、そういったライブをそもそも見たことのなかった僕はたまげました。
アフリカンってええなあと思いました。

その時歴史が動いた

そのイベントが終わった後、感動とお礼を伝えるために、タリベの練習にお菓子を持っていきました。
なぜかリンゴのコンポートを自作しました。お菓子作り自体が初めてでした。
今から考えても不思議ちゃんな行動ですが、相当感動していたのでしょう。
ともあれ、練習にお邪魔しました。

タッパーに入れたコンポートを差し出し、食べてもらって、しばらくして、
そのときタリベのダンサーでもあり『がいごのすゝめ』のメンバーでもあったSさん(つまり僕のことをよく知っていたタリベの人)が一言。
『で、もじゃはいつタリベ入るん?』

僕は『あ、じゃあ今で』といつも通りに答えました。
でも、心臓がかなりバクバクしていました。実感よりも先に興奮が来ていました。
これは、もしかしてあの音楽を僕がこの先やっていけるということなのか?
果たして、その通りでした。(当たり前だ)

初めてジェンベを叩く

アフリカンでも最もメジャーな太鼓であるジェンベを同期のZ君に教わりました。彼が最初に教えてくれたのは、『ドットト、カッ』という、ジェンベのフレーズの中でも最も基本的な伴奏の一つ。
それを叩いてみたときの衝撃は忘れません。

ドットト、カッドットト、カッドットト、カッドットト、カッドットト、カッドットト、カッドットト、カッドットト、カッドットト、カッドットト、カッドットト、カッドットト、カッ
たった4つの音の繰り返し。なぜ、これだけのことがこんなに楽しいのか?一体なぜ面白いのか?今までなぜ知らずにいられたのか?
不思議でした。今まで聞いてきたりやってきた音楽とは、何かが根本的に違うと思えました。
ジェンベってすごい。アフリカンってすごい。

『ドットト、カッ』の感動を味わい続けたい、人に伝えたいというのは、僕がアフリカンを続ける大きな理由の一つです。

思うこと

書いてて思うのは、「あそこでSさんに誘われなかったら、タリベに入ることはなかったのか?」ということです。
選ばなかったほうの未来などわかりませんが、アフリカンは僕の中で、今や生きる意味にまで上り詰めて来ました。
あのめぐり合わせ、そして9年も変わらず叩けていることに感謝の日々です。

ありがたや。良かった。

以上、もじゃでした。