鬱病になった話


この一年は自分にとって、本当にふり幅の大きい年だった。
去年起こった出来事の中で一番大きかったのが、鬱病になったことだ。それについて書こうと思う。

兆し

一年前の2月に南アフリカへの二度目のダンス留学から帰ってきた。

のべ6か月間パンツーラを習ってきたということと、それまでの実績(?)からにわかに注目が集まったようで、帰国後はWS依頼やイベント出演への誘いなど色々舞い込んだので盛んにパンツーラの活動をし出した。

その中でどうしようもなく感じたことがあって、それは、世の中には普通に搾取しようとしてくる人間がいるということだ。(もちろん誠実な人もたくさんいるが)

「君のパンツーラはすばらしい、2500円のチケットで一枚売れたら300円バックの条件で出演して欲しい」と持ち掛けてくる人。
仕事の依頼みたいな内容なのに、報酬聞いたら「他の人にも無料でやってもらってるの」と言った人。
交通費も出演料も出ないけど名古屋まで踊りに来てほしいとメッセージしてきた人。

彼らは今までほぼ関係のなかった人で、しかもあちらの方から声をかけてきたものなのだから笑ってしまう。確かに、下積みを頑張って成り上がるって考えもあるし、呼んでもらえるだけで有難いことではある。しかし、最初の最初から無料奉仕の提案というのは、唾を吐きかけているのと同じだ。

ただ、こういう分かりやすいハイエナに対しては、自分なりにしっかり交渉したり断るという対策が打てるのでそこまで問題ではない。客商売とかしてたら、似たようなおバカさんにはいくらでも出会うだろう。もっとずっと厄介だったのは、「依頼主の役に立ちたい」という想いや自己実現への想いを自分の欲望達成のための機会へと替えて収奪する人間だ。有害さを狡猾に隠しながら自分のやりたいことをヌルっと押し通す、ガチのテイカー。

例えば、僕の名前を冠したイベント出演を依頼しておきながら自分のエゴだけを反映させまくり、人の意見はほとんど聞かなかった人。(企画段階でトークテーマのリストを提出した時、全く興味がなさそうだった時点でおかしいと思うべきだったが)

この件は問題があり過ぎて、ストレスが溜まったなんてもんじゃなかった。一番ヤバかった点は、その人が媚びを売りたいゲストを呼ぶためにイベントを直前で延期された上、当日はそのゲストの話でイベントがほとんど終わったことだ。聞こえの良いことを言って延期したり、その魂胆を隠したまま開催までこぎつけられたので非常に悪質で、看板と内容が食い違い過ぎて、見てくれたお客さんからも「あれはどうなの?」という声がいくつも届いて申し訳なかった。

そしてもう一つ、これと似ていた状況の企画があって、それを進めていたときのこと。最初は熱を持ってやっていたが、ギブ&テイクのバランスが徐々に大きく崩れはじめ、そのうち我慢と妥協が日常になり、諦めながらも無理やりやっていたらある日突然それは来た。

発症

何かを面白いと感じたり、楽しいと感じる心がスーッと消えていった。元気がなくなり、笑えなくなった。

そしてそれが進行するにつれ、仕事、何かの締め切りなど日々の中のタスク全般に対する精神的な負担がどんどん増していき、それぞれが失敗する想像で頭がいっぱいになっていった。

人に何か尋ねられたり、ちょっとストレスのかかるメッセージをするとか、それだけで視界が狭くなって、いくら水を飲んでも喉が渇いて、不安が限界に達するとうずくまって目をつぶってなんとかやり過ごそうとしていた。

鬱病なんて、元気がなくなるだけだと思っていたが全然違った。不安の質がめちゃくちゃ激しいものなのだ。心が直接辛さを感じてしまい、いてもたってもいられないのに、どこにも逃げ場がない。

昼寝ができなくなったのも本当につらかった。後頭部が常に痛く熱く、眠りに落ちる直前に形のない不安がそこを刺激して強制的に覚醒するので、寝不足が常態化した。

異常に疲れやすくなって、自転車の立ち漕ぎもできなくなった。最終的には、鍵をかけたり自転車をどこかに停めるのが精神的に疲れるからという理由で自転車自体を避けるようになった。

ちょっと出かけるための持ち物の用意すら、頭がまとまらず居間と玄関を何往復もしてヘトヘトに疲れた。

夏の暑さ、湿度も元気なときに比べてずっとしんどく感じた。気晴らしにネットを見ても悪いニュースの方がたくさん流れてくるので、必要以上に共感してますます気分が悪くなった。

夜は少しだけ楽になる。寝る時は、気を失えるということにホッとした。でも、朝起きるとまた一日過ごさなくてはいけないのかと絶望した。

なんとか不安をごまかせる時間のつぶし方を探そうとした。仕事が終わったら、寝るまでYouTubeで興味の少しでも湧く動画を見て過ごしていたが、そのうち鬱病についての動画でレコメンドは一杯になった。

休みの日は漫画を少しだけ読み、読めなくなると座って壁にもたれかかったり横になったり、それでも不安でどうしようもなくなったら散歩、というのを繰り返す。

しかしその散歩ですら、症状の進行とともに公園を一周すらできなくなっていった。歩いている途中で緊張と不安で喉がカラカラに乾くからだ。

最小限しか動けない。休んでいてもどんどん疲れる。動かないからエネルギーはますます減る。代謝も悪くなり、脂肪がつく。心が体を蝕み、体が心にもっと自信を無くさせるという負のスパイラルだった。

このまま何もできなくなり、そのうち仕事をクビになるんだろう。もう楽しく過ごすという事はできないんだ。この先の人生は全て、激しすぎる不安に耐えながらただ時間が過ぎるのを待つだけになる。そのようにしか思えなかった。

対処

症状が始まって2ヵ月ほど経った頃、後頭部の慢性的な痛みとのどの渇きに加えて逆流性食道炎も始まり、もう本当に休まないと命が危ないと感じた。

心療内科に通い始めて、そのとき一番負担になっていたモジャダの企画を中止した。イベントを中止するということは色んな人に迷惑をかけるため、それでもっと症状が悪化するかもしれないと迷っていたが、結果的に楽にはなったので、それしかなかったんだなと思った。

心療内科では、副作用が怖かったので一番軽めのSSRI(抗うつ剤)を処方してもらった。

「鬱病になった原因自体は自分で環境ややり方を変えるなりしてあなたが取り除く必要がありますが、まずはそれができるだけの元気を出しましょう、元気が出てきたらだんだんそれをやればいいですよ」
的なことを言われた。

相談すればよく答えてくれるけど、とくになければ余計なことは言わないでくれる良いお医者さんだった。

SSRIは効き目が最初に現れるまで一か月ぐらいかかるらしく、合う合わないもあるので
効果が見られなければ一か月後に薬を変えてまた一か月様子を見る、という気の長い治し方になる。

一か月待つだけでも辛いのに、もし薬が効かなかったらという不安もかなり大きかったが、なんとか4,50日ぐらいで楽になり始めたので運が良かった。

そして、自分が良くないと思った関係を完全に断つことにした。

辛かったときの救い

口角を上げたり、他の人の幸せを祈ってみたり、自分の恵まれているところを挙げつくしたり、眼を高速で左右に動かしてみたり、日記を書いてみたり、たんぱく質と鉄分のサプリを摂ったり

ネットで調べたメンタルハックを必死で実行したが、どれも微妙だった。

そんな中で明らかに効果があったのは、ただ人と話すことだった。不安でどうしようもなくなったとき、誰かと電話すると100の不安が一時的に30ぐらいにはなり、その日をやり過ごせた。自分のことを考えなくて済むからかもしれない。

また、趣味の太鼓やダンスの関り、日曜の教会通いなど外出する理由になるものがあって、それが結果的に人と話すことになって楽になっていたかもしれない。色んな意味で疲れもするけど、全くないよりはきっとマシだったと思う。

人とのなんでもない触れ合いが即効的に不安を癒してくれるということを心底実感した。

思ったこと

結論としては、今回の根本的な原因は自分にあると思っている。

なぜなら、そういう人間と付き合うことを選んだのは自分であり、その進み方を制御できなかったのも自分であり、そもそも期待し過ぎたのも自分だから。
見る目の無さ、弱さ、欲深さのせいというか。。。

他人じゃなく自分を見誤っていたということでもあるのだ。今回は自分のキャパシティーのようなものが分かった。お互いを尊重できる人、大切な人と過ごし、歩きたい道を見極めて歩かなきゃと思う。

あと、結果としては良かったことのように書いたけど、メンタル不調は本当につらいし最近多くなってきてるらしいので、今なっている人の苦しみが少しでも取り除かれてほしいと願う。

でも、相談しているうちにたくさんの人の優しさに触れたし、身の回りにはかつて経験者だった人が意外といることが分かった。みんな「時間はかかるけどなんとかなっていく」という声をかけてくれて、その言葉には救われた。
僕も、二度となにも楽しめない心になったと思っていたけど、元に戻っている。

苦しい時は「その内なんとかなる」ということを
元気な時はそのかけがえのなさを
思い出しながらこれから生きていけたらと思う。