こんにちは。もじゃです。
僕はジェンベという太鼓からアフリカンを始めました。
始めの頃の、僕とダンスとの関係についての話。
アフリカンを始めるとなったら、誰でも太鼓とダンスどっちをやるのか選択することになります。
いや、どちらも同じぐらいやったっていいんですが。
大抵、どっちかをメインでやることになります。
僕の場合は太鼓メインで始めたというわけです。
太鼓をやる人はドラマー、ダンスをやる人はダンサーと呼ばれます。
今回は、そんな僕とアフリカンダンスとの関係について書きます。
踊りたいけど決心のつかなかった8年
学生サークルでダンサーと一緒にやっていたので、太鼓を叩くときは大体ダンスと一緒でした。
ドラマーとして楽しくやっていたんですが、いつからだったか、踊りたいという欲求が強くなってきました。
ただし、一旦ドラマーという言葉で自分を縛ってしまうと、ダンスを始めるのは抵抗があります。
自分は男で、ダンスを始めても周りは女性ばっかりだし・・・
僕は、身体が堅くて動きもぎくしゃくするしなあ・・・
俺はダンスもやるぞ!という決意は持てないまま、ちょいちょい踊ることに関わってみたりしていました。
例えば
ジェンベは立って自由に動きながら叩けるので、妥協して足踏みしながら叩いたり。
アフリカンには飛入りダンスが奨励される雰囲気があるので、たまに飛入りダンスしてみたり。
でも、頻度は少なかったんですけど、飛入りダンスでかなり楽しかったんですよ。
ドラマーとしてダンスを観察していたので、なんとなーく雰囲気は分かります。
また、同じ動きを繰り返すというアフリカンダンス特有のルールがハードルを下げてくれます。
ネタが一個でも飛入りは満足に踊れるのです。
しかも、
・普段はドラマーのあいつが踊ってるよ!ということでそこそこに盛り上がる
・僕は動きが変らしく、笑いが取れる(しばらくすると、むしろ取りに行くようになる)
・普段はドラマーなので適当でも大丈夫という気がしてくる
・普段はドラマーなので自分で自分に対するハードルも低い
ということで、ドラマーなりの甘い蜜を吸ってきました。笑
自分も楽しく周囲も楽しいというね。
そんな感じで、ごくたまにダンスワークを受けたりもしましたが、ダンスとは微妙な距離感を保ちつつ関わってきました。
太鼓がまず大好きだったので、僕はとりあえずドラマーで行くか、ということに不満を覚えることもありませんでした。
東京での太鼓生活、始まる
東京に転勤して、アフリカンは主にダンスワークの伴奏で楽しむというスタイルになりました。
僕が最初に通い始めたワークは武田マリさんのダンスクラス。
武田ヒロユキさんを中心にアフリカングルーヴ(以下アフグル)というバンドで活動していて、クラスでもそのバンドの生音演奏で踊ります。そこで一緒に叩かせていただいています。
ちょっと話がそれますが、
アフリカンの醍醐味として、ドラマーとダンサーとで雰囲気とノリを作っていき、一緒に音楽を楽しむというのがあります。
これが非常に楽しく、生音で踊るのはアフリカンでは珍しいことではないんですが、むしろスタンダードなんですが、人が集わないとできないので、恵まれたことであるという認識があります。
ダンサーにとって、ドラマーと一緒に叩けること
ドラマーにとって、ダンサーと一緒に叩けること
ドラマーにとって、他ドラマーと一緒に叩けること
ダンサーにとって、他ダンサーと一緒に踊れること
アフリカンではよく感謝という言葉がでてきます
クラスか終わったらお互いにありがとうの握手とか。
そんなところも僕は好きですね。
閑話休題。
アフグルの演奏と一緒に叩くダンスクラスは最高の時間でした。
僕が特別な想いを持つマリ(西アフリカの国の名前の方)のリズムメインで教えられており、その点も僕のツボにクリーンヒット。すぐに入り浸るようになりました。
このワークサポート生活が、回りまわって僕の意識を少しずつ変えていくことになります。
その話はまたいずれ。
以上、もじゃでした。
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